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デウス堂跡(推定地)

内容

【所在地(住所)】
大分県大分市顕徳町
【内容】
 天文20年(1551)9月、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが、大友宗麟の招きによって山口から府内を訪れ、宗麟の布教許可を得て豊後でのキリスト教の第一歩が始まりました。その後、多くの宣教師の活動と大友宗麟の保護も有り府内を中心にキリスト教は次第に広がっていき、弘冶3年(1557)には府内に2,000人のキリシタンが、天正8年(1580)頃には豊後の信者数は約1万人を数えたといいます。天文22年(1553)6月府内に礼拝堂が建立され、高い十字架が立てられました。これが府内教会(デウス堂)で、「わが慈悲の聖母<ノッサ・セニョーラ・ダ・ピエダデ>の教会」と呼ばれました。建築にあたっては信者が自ら汗を流したといいます。「戦国時代府内絵図」には「ダイウス堂」の名前で、明らかに教会と思われる建物が描かれています。教会では毎日ミサが行われ、少年合唱団隊がオルガンやビオラに合わせて聖歌を歌ったり、宗教劇が演じられたと宣教師の報告に記されています。府内にはまた、西洋病院や学校(コレジオ)もつくられ、南蛮文化の香り高い都市として発展しました。
【文化財の指定】
【交通アクセス】徒歩:JR大分駅から約20分
車:JR大分駅から約5分
バス:大分バス「顕徳町」バス停下車 徒歩3分

媒体写真
管理施設/お問い合わせ先 文化財課
大分市荷揚町2番31号
TEL:097-534-6111  FAX:097-532-8102
アクセス数2,070回
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